東京地方裁判所 平成10年(ワ)30238号 判決
原告 宝田奐勝
右訴訟代理人弁護士 池田和司
被告 宝田文勝
主文
一 被告は、原告に対し、金四四〇〇万円及びこれに対する平成八年九月一八日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
二 訴訟費用は被告の負担とする。
三 この判決は仮に執行することができる。
事実及び理由
第一原告の請求
一 (主位的請求)
主文第一項と同旨
二 (予備的請求)
被告は、原告に対し、金四四〇〇万及びこれに対する平成一〇年一〇月一四日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
第二事案の概要
本件は、原告が、被告に対し、亡母の遺産分割調停において合意された代償金四四〇〇万円及び遅延損害金の支払を求めた事案である。右調停条項においては、右代償金の支払方法は亡父の遺産分割の際に協議し清算するとされていたところ、原告はこの条項に照らして既に弁済期が到来したと主張したのに対し、被告はこれを争うとともに、原告の不法行為に基づく損害賠償請求権による相殺を主張して、原告の請求を全面的に争った。
一 争いのない事実等(証拠を摘示しない事実は、争いのない事実である。)
1 原告と被告とは兄弟で、原告は亡宝田博之助と亡宝田富志との間の四男であり、被告は長男である(別紙(一)の「宝田博之助・富志相続人関係図」参照)。
2 富志は平成二年一一月一〇日に死亡し、別紙(二)の遺産目録(富志関係)記載の遺産(以下「本件遺産」という。)の相続が開始した。
3 博之助は平成四年二月二五日に死亡し、同人の遺産について相続が開始した。
4 平成五年七月一五日、東京家庭裁判所において富志の本件遺産について相続人全員の間で遺産分割の調停が成立した(以下この時成立した調停に係る条項を「本件調停条項」という。)。
5 本件調停条項の第3項は、「申立人(被告)は、相手方篠山彌壽子、同岩佐節子、同宝田寉英、同宝田睦男、同宝田奐勝(原告)に対し、前項記載の各不動産を取得した代償として、各金四四〇〇万円の支払義務のあることを認める。」と定め(以下この調停条項を「本件代償金条項」とい、この条項により被告が原告に対し支払義務を負う代償金を「本件代償金」という。)、本件調停条項の第5項は、「当事者全員は、申立人が支払う第3項の代償金の支払方法を、被相続人宝田博之助の遺産分割の際に協議し、清算することに合意する。」と定めている(以下この調停条項を「本件清算条項」という。)。
6 その後、平成八年九月一七日に、被相続人宝田博之助の遺産のうち別紙(三)の預金等目録(博之助関係)記載の遺産を除くその他の遺産(不動産)について、相続人全員の間で遺産分割協議が成立した(甲二)。
7 博之助の遺産(積極財産)は、右6で遺産分割協議が成立した遺産以外には、別紙(三)の預金等目録(博之助関係)記載のものがあるだけである。同目録記載の遺産については、相続人の間でこの取得について協議が行われたが、その話合いは成立していない。
8 被告は、平成一二年七月一三日の本件第二回口頭弁論期日において、原告の被告に対する本件代償金債権と、被告の原告に対する看板設置による不法行為に基づく損害賠償請求権とを、対当額で相殺する旨の意思表示をした。
二 争点
1 本件代償金の弁済期は到来したか。到来したとすればいつか。
2 被告が相殺を主張している被告の原告に対する不法行為に基づく損害賠償請求権が成立するか。成立するとすれば、その額はいくらか。
また、右損害賠償請求権が時効により消滅したか。
三 争点に関する当事者双方の主張
1 争点1(本件代償金の弁済期の到来の有無)について
(一) 原告の主張
(1) 代償金の金額は本件代償金条項により一人四四〇〇万円で確定しているから、本件清算条項の趣旨は、結局宝田博之助の遺産分割の際に代償金を支払うということに尽きる。
ところで、被相続人宝田博之助の遺産については、平成八年九月一七日をもって遺産分割協議が成立して完了している(甲二)。被相続人宝田博之助の遺産である預金類(甲七)は、各人の相続分に従って当然に分割となっているから分割協議の対象外である。
したがって、本件代償金四四〇〇万円は、弁済期が平成八年九月一七日に到来した。
(2) 仮に右主張に理由がないとしても、平成一〇年一〇月一三日には右弁済期が到来した。
すなわち、博之助の遺産についての甲二の分割協議成立後も、被告は、原告の本件代償金の支払請求に対し、博之助の遺産についていまだ未分割の遺産があるので代償金の弁済期は未到来であると主張していた。そこで、原告が、未分割の遺産について分割協議書(甲七)を作成し、平成一〇年一〇月三日被告に交付して同意を求めるとともに、本件代償金の支払方法について検討を要請した(甲八)。
そして、原告は同年一〇月一三日に被告と協議したが、他の相続人のほとんどが賛同しているにもかかわらず、理不尽な主張をして原告の右提案に同意せず、また本件代償金の支払方法についても明示しない(甲九)。
このように、被告の不誠実な対応によって本件代償金の支払方法について協議が成立しなかったのであるから、原告は、本件代償金の支払方法について協議が成立したものとみなすことができる。よって、本件代償金の弁済期は遅くとも平成一〇年一〇月一三日に到来した。
(二) 被告の主張
被告としては、本件代償金を支払わないとか、その支払を引き延ばす考えは毛頭ない。しかし、亡父博之助の遺産分割の最終結果が出ていない以上、その清算時期は到来していない。原告の主張は空論である。現金預貯金類、負債(あさひ銀行借入金)を含む全遺産分割協議成立時が本件代償金の清算時期である。
しかし、被告は、妥協案として、未分割遺産が残るにせよ、本訴の終結の時をもって本件代償金の清算実行及び利息発生の時であると主張する。
2 争点2(被告の原告に対する損害賠償請求権の成否、時効消滅の有無)について
(一) 被告の主張
(1) 原告の不法行為
(ア) 原告は、平成六年夏ころから、被告を陥れるため、本件代償金にかこつけて看板十数枚を設置又は掲示して、虚偽の情報を長期にわたって広告した。
(イ) 原告は、この行為によって、地域公衆に疑惑を抱かせ、被告の公共的営業を妨害した。これにより、被告は甚大な心痛及び損害を被った。被告は、地元の西新井小学校のPTA会長の役にあったが、自主的に辞任し、また、被告の経営する私立西新井幼稚園の入園志望者が激減し経営継続が危ぶまれるまでになった。そして、この悪影響は五年間継続した。また被告の家族も被害を被った。
(ウ) 原告の不法行為によって被った被告の損害は、精神的損害を経済的損害を併せて次のとおり一億二〇〇〇万円を下らない。
<1> 幼稚園の経営に関する損害(右(イ)のとおり。)
一億一〇〇〇万円
<2> 原告の居所であった家屋が無人となったことに気を使ったことによる損害
九〇〇万円
原告の居所であった足立区西新井本町一-一七-二四の敷地家屋が無人となったため、被告においてはこれに気を使うこと人一倍の日夜が五年間以上続いている。一昼夜の留守番代五〇〇〇円としても九〇〇万円以上になる。
<3> 精神的苦痛に対する慰謝料 一〇〇万円
(2) 消滅時効に関する原告の主張に対する反論、主張
(ア) 本件の加害行為は情報による加害であり、打ち消す新情報が発信されない限り現在も加害行為は続いている。また、将来重大な損害が発生するおそれが残っている。
すなわち、看板は次のとおり現認されている。
<1> 平成八年三月下旬
足立区西新井本町二-七 原告所有倉庫外壁面(乙一二)
足立区西新井本町一-四 原告所有倉庫外壁面
足立区西新井本町一-一七 原告共有家屋玄関先の樹間
<2> 平成一二年七月中旬
足立区西新井本町一-一七 原告共有家屋玄関先の樹間
(イ) 看板について、製作注文のみならず掲示したのが原告であることを被告が知ったのは、原告が平成一二年八月九日付け準備書面(四頁四行目)の陳述によってである。
(二) 原告の主張
(1) 被告の主張(1) に対する認否、反論
(ア) 被告の主張(1) (ア)のうち、原告が平成六年夏ころに看板九枚を掲示したことは認めるが、その他の事実は否認する(なお、原告は、当初は看板十数枚を掲示したことを認めたが、後に、記憶違いであったとして認否を右のように変更した。)。
(イ) 被告の主張(1) (イ)、(ウ)の事実も否認する。被告が地元小学校のPTA会長を辞任したかどうか、被告の経営する私立西新井幼稚園の入園希望者が激減したかどうかは知らないが、いずれも看板とは関係がない。前者は被告の個人的理由によるものであり、後者は少子化の影響によるものである。
(ウ) 設置の場所と枚数は、次のとおりである。
<1> 第五中学校の横の駐車場(旧ラーメン店前)に二枚(乙七)
<2> 環状七号線の三角畑跡の駐車場に一枚(乙五、一三)
<3> 袋在家地区の駐車場の塀に三枚(乙九、一〇、一二、一四、一五)
<4> 西新井本町一丁目・都営住宅前の倉庫の壁に一枚
<5> 君袋氏宅前の駐車場に一枚
<6> 王子信用金庫西新井支店の裏の倉庫の壁に一枚
(エ) 看板の撤去等について
<1> 前記(ウ)の<1>の看板は、平成七年春ころ原告が撤去した。
<2> 前記(ウ)の<2>の看板は、平成七年九月ころには、既に誰かが撤去してなくなっていた。
<3> それ以外のものは、設置後しばらくして自然に地面に落ち、あるいは倒れてゴミ同様の状態になっていたのが、平成八年暮れころまでに片づけられた。
ただ、母屋の表玄関の前のブロック塀の横の植込みの中に(外部からは容易に見えない所)に一枚、汚れて判読できないまま落ちている。
(2) 消滅時効の援用
仮に原告の看板設置行為が不法行為であるとすれば、設置時の平成六年夏から三年を経過した平成九年夏には右損害賠償請求権は三年の経過によって時効消滅している。
ちなみに、被告は、遅くとも平成六年八月三一日(乙五以下の写真の撮影年月日参照)の時点で、原告が看板を設置した事実を発見したこと並びにこのことによって被告の受けた心痛及び損害が甚大であったこと等を自白している。
第三当裁判所の判断
一 本件代償金の弁済期(争点1)について
1 証拠(甲一、七、一〇の1から3、一一)によれば、本件調停条項中の本件代償金条項は、亡富志の遺産のほとんどを占めていた別紙(二)の遺産目録(富志関係)記載一から三までの土地(登記簿上の地積合計一七八四・八九平方メートル。以下「前屋敷の土地」という。富志の他の遺産は、同目録記載四から六までの各建物及び甲七記載の預金合計約二一七万円である。)について、被告の強い希望により、これを現物分割しないで、被告が単独で取得することにしたことから、この反面として合意されたものであったことが認められる。そして、本件代償金条項によれば、原告を含めた五人の相続人がそれぞれ四四〇〇万円ずつ、合計二億二〇〇〇万円の代償金請求権を被告に対し有することになったものであるところ、証拠(甲二)と弁論の全趣旨によれば、亡博之助の遺産は当時未分割で、多数の不動産が遺産として存在していたことが認められるから、本件調停条項中の本件清算条項は、右各代償金の支払をこの博之助の遺産分割の際に考慮し、清算しようとしたものと認められる。
証拠(甲一、一〇の1から3)と弁論の全趣旨によれば、被告は、本件遺産について調停が成立したことにより、何らの制約なく前屋敷の土地を単独で取得し、これを自由に処分することができる状態になったことが認められるから、その反面として、被告は、本来であれば、本件代償金についてはこれを直ちに支払う義務を負うべき筋合いである。このような前提でみると、本件清算条項は、前段にみたような本件代償金の額と未分割の博之助の多額の遺産の存在とにかんがみ、被告の利益のために、その支払ないし清算を博之助の遺産の分割の時まで猶予し、被告に対しその遺産分割に絡めて本件代償金の清算をするチャンスを与えた趣旨のものであると解するのが相当である。
したがって、本件代償金の支払ないし清算は、博之助の遺産の分割の際に清算の方法が合意されればそれによるべきことは当然であるが、反対に、博之助の遺産の分割協議が成立しても本件代償金の清算の合意までは成立しなかったときには、原告において本件代償金の弁済期の到来を主張するのを不当と認めるべき特段の事情のない限り、右分割協議が成立した時に本件代償金の弁済期が到来するものというべきである。
2 これを本件についてみるに、前記「争いのない事実等」の6のとおり、平成八年九月一七日に博之助の遺産のうち不動産について遺産分割協議が成立したものであるが、証拠(甲七、一一、乙二〇)と弁論の全趣旨によれば、その他の預金、立替金及び現金については、平成一〇年に話合いをしたものの、協議が成立しなかったものと認められる。
しかし、預金及び立替金は金銭債権であると認められるから、これらは相続開始と同時に当然法定相続分に応じて分割されて分割は終了しているものであって、当然には遺産分割の対象になるものではない。もっとも、相続人全員の合意があれば、これを遺産分割の対象とすることができると解されるが、本件においては前段にみたとおり、相続人全員の間でこれら預金及び立替金を遺産分割の対象にした上で分割する旨の合意は成立していないから、これらは現時点においても当然分割の状態にあるものというべきである。
なお、亡博之助の遺産中には現金が八四万五〇七四円存在する(甲七)。現金は遺産分割の対象になるから、厳密に言えば、博之助の遺産については、このわずかの現金のみについて未分割の状態にあるといえる。しかし、前示の本件清算条項の趣旨からみて、この程度のわずかの現金が未分割であることにより本件代償金の清算方法に差異が生ずるものでないことは明らかである。
以上によれば、本件清算条項との関係では、本件代償金の清算のチャンスは亡博之助の不動産の分割の時をおいてほかにはなく、平成八年九月一七日に博之助の遺産中不動産の遺産分割協議が成立したものの、同協議において本件代償金の清算方法が合意されなかった以上、原告において本件代償金の弁済期の到来を主張するのを不当と認めるべき特段の事情のない限り、被告の原告に対する本件代償金債務の弁済期は右遺産分割協議成立の時に到来したものというべきである。しかし、本件において右の特段の事情は認められないから、本件代償金の弁済期は、平成八年九月一七日に到来したものというべきである。
なお、証拠(乙一七、二〇)と弁論の全趣旨によれば、博之助は生前金銭債務を負っていたことが認められるが、金銭債務も相続開始と同時に法定相続分に応じて当然分割されるものであるから、この点が右の結論を左右するものではない。
二 被告の原告に対する損害賠償請求権の存否(争点2)について
1 証拠(甲一二、乙五から一〇、一二から一六、一九、二〇)と弁論の全趣旨によれば、原告は平成六年夏ころ一二枚の看板を自己所有の土地建物内等に掲げたこと、右各看板には、被告に対し本件代償金四四〇〇万円を早期に支払うよう求め、また被告がこれを支払わないことを非難する趣旨の記載がされ、更に右の請求者すなわち看板作成者として原告の氏名が記載されていたことが認められる。
なお、原告は、当初は看板を十数枚掲げたことを認める陳述をしたが、後に原告が掲げた看板は九枚であった旨右自白を撤回した。証拠(甲一二、乙五から一〇、一二から一六)と弁論の全趣旨によれば、原告が当時掲げた看板は、原告が認める九枚(前記第二の三の2(二)(1) (ウ))と、乙八、一六、一九の三枚とを併せた一二枚と認めるのが相当であり、前記の自白は右の限度で錯誤に基づくものと推認されるから、原告の自白撤回は右の限度で許されるというべきである。
しかるところ、本件代償金の件は、本件清算条項を前提に話合いや法的手続によって解決されるべきものであるのに、原告は、本件代償金を被告が支払っていないこと及び被告がこれを支払わないことを非難する内容を不特定かつ多数の一般人に告知する態様の行為をしたものであるから、原告はこれにより被告の名誉等の人格権を違法に侵害したものというべきである。
2 これに対し、原告は消滅時効を援用しているので検討する。
証拠(乙五から一〇、一二から一六、二〇)によれば、被告は原告が右各看板を掲げたことを遅くとも平成六年八月終わりには知ったものと認められるから、本件の不法行為の性質に照らし、被告はこの時に損害と加害者とを知ったものと認められる。
ところが、右各看板はその後継続して掲示されていたものと推認されるから、その掲示がされている間は右不法行為が一体として継続していたものというべきである。したがって、右不法行為に基づく損害賠償請求権の消滅時効期間は、右各看板が掲示されることがなくなって不法行為が終了した時から進行するものというべきである。
これを本件についてみるに、証拠(甲一二、乙五から一〇、一二から一六、一九、二〇)と弁論の全趣旨によれば、これらの看板(ただし、乙一九に係る看板を除く。)は、平成八年暮れころまでに、原告自身や他の者が撤去したり、自然の経過に伴って落ちたり倒れたりして片づけられていずれも掲示されなくなったこと、平成一二年七月時点において、乙一九に見られる一枚の看板が、原告所有家屋の表玄関の前のブロック塀の横の植込みの中に腐って落ちていることが認められる。現在見られる右の一枚の看板は、その場所、態様等からして、もはや記載内容を一般人に告知する効用を有するものではないと認められ、かつ、この看板の材質等は他の看板と同一のものと推認されるから、他の看板と同様に平成八年暮れころまでにはその効用を喪失していたものと推認するのが相当である。
そうすると、右不法行為に基づく被告の原告に対する損害賠償請求権の消滅時効期間は、平成九年初めには進行するに至っていたものと認められる。被告が右損害賠償請求権に基づく相殺を主張したのは、前記「争いのない事実等」の8のとおり、平成一二年七月一三日の本件第二回口頭弁論期日においてであるから(ちなみに、記録によれば、右主張を記載した準備書面が当裁判所に提出されたのは平成一二年七月七日である。)、この時には消滅時効期間である三年が既に経過していたものと認められる。
3 よって、被告の原告に対する右不法行為に基づく損害賠償請求権は時効により消滅したものというべきであり、これに基づく被告の相殺の主張は理由がない。
第四結論
以上の次第で、原告の被告に対する主位的請求は理由があるから、これを認容することとして、主文のとおり判決する。
(裁判官 岩田好二)
別紙<省略>